Anversa(心筋幹細胞)事件2018

Medical Issue Review 
FREE
公開日:2018年12月25日

Anversa(心筋幹細胞)事件2018

Executive Summary

  • 2018/10 Harvard University and Brigham and Women’s Hospital (BWH)はPiero Anversaらに31の関連論文の撤回を要求し、それらの発表ジャーナルに通告した。これを受けてNHLBI(National Heart, Lung, and Blood Institute)は、心筋幹細胞(CSC)をふくむ臨床試験CONCERT-HFの停止と再検討を決定した。
  • Anversaラボからの論文には2000年前後の発表当時から批判が多く、2014にはLancetが同誌に発表されたSCIPIO試験論文に対しConcernsを表明していた。これと前後してAnversaはBWHを去っており、2017にBWHはAnversa関連研究費をNIHに返納していた
  • Anversa自身はNew York Timesとのインタビューで一切の不正を否定し、生じた問題はすべて周辺的でしかも共同研究者(Kajstura)の責任としており、自発的な論文撤回がスムースに進むかどうかは明らかでない。Anversa事件は、成体心筋における常在幹細胞の存在から幹細胞の臨床応用まで広汎で根本的なテーマにわたり、20年近く続いてなお決着のつかない、医学の研究「不正」史上稀に見る事件といえる。
  • BWHは2018/12段階で撤回要求論文のリストを公開していないが、内容的にはおそらく以下のすべての点をふくむものとみられる。

    I. 成体心筋に常在(resident)CSCがある。
    II. CSCは心筋梗塞で組織再生に関わる。
    III. (Anversaラボの)c-kit陽性細胞が真正なCSCである。
    IV. CSCを心不全での組織再生治療に使える。

    これら4点は「Anversaパラダイム」とでも呼べるもので、I~IIIはAnversaら自身が「パラダイムシフト」と宣言していた。I~IIIは心筋細胞生物学の、IVは臨床心臓病学のパラダイムである。
  • Anversa自身、あるいは論文掲載誌が彼の主要論文をすべて撤回すればこのパラダイムは消滅するが、2018末現在の撤回段階でもAnversaCSCは臨床試験に到達しなかったとみなされる。また、すでにこのパラダイムに対して数々の批判・問題提起・変更提案が行われてきている
  • 臨床的観点から最も重要な、幹細胞による心不全心筋の再生的置換治療(パラダイムIV)に対しては、Anversa事件によりAnversaCSCに限らず他の組織幹細胞でも世界的に逆風が強まっている。現在この分野では、新しいパラダイム、「心臓(関連)細胞のパラクライン効果」と「ES細胞・iPS細胞の細胞移植(心筋パッチ/シート療法)」が支配的となってきているとみられる。何れのパラダイムにせよ死亡やMACEをアウトカムとする臨床試験の段階に達するのは2020以後とみられる。

事件の概要

2014にPiero AnversaとAnnarosa Leriに、Harvard University and Brigham and Women’s Hospital(BWH)当局がデータ操作・捏造、グラント申請での不正を指摘した。両者は一部不適切行為を認めつつこれを共同研究者Jan Kajsturaの責任とし、二人の責任を否定する反訴を行ったが認められなかった。Anversa・Leriは1論文を撤回、8論文を訂正してHarvardを去った(1)。2017にBWHは研究資金不正受け取りの払い戻しとしてNIHへの$10M支払いに合意した

2018/10にBWHはAnversaに31の追加論文の撤回を要求し、当該ジャーナルに通告した。 この発表に呼応してNHLBIは、CSCをふくむ臨床試験CONCERT-HFの 停止と再検討を決定した(2)。他方AnversaはNYTのインタビューで、自分が全く不正に関わっておらず不正は共同研究者の責任であり、また一連の事件によってもCSCの存在・意義は揺らがない、と主張した(3)。2018/12にBWHの要請を受けて、AHAは旗艦ジャーナルCirculation・Circulation ResearchからAnversa系ラボの心筋幹細胞論文13の撤去を決定した(4)。

Harvardは論文撤回でもトップクラスの大学だが、その中でもAnversaラボのものは群を抜いている(5)。Anversa事件は、心筋幹細胞(CSC)の存在から臨床応用にまで広汎なテーマにわたり、20年近く続いてなお決着のつかない、医学の研究「不正」史上稀に見る事件といえる。

「Anversaパラダイム」

BWHは2018/12段階で撤回要求論文のリストを公開していないが、内容的にはおそらく以下のすべての点をふくむものとみられる。実際、Anversaら自身が2011に、以下のI~IIIを心臓生物学の「パラダイムシフト」である、とするReviewを発表しており(6)、その見方はさらにCardiomyogenesis in the Aging and Failing Human Heartと題された2012 Reviewでも展開された(撤回論文)(7)。

I. 成体心筋には(常在)CSCがある。
II. CSCは心筋梗塞で組織再生に関わる。
III. (Anversaラボの)c-kit陽性細胞が真正のCSCである。
IV. CSCには心不全で組織再生治療効果がある

I.  成体心筋は再生する:心筋には常在幹細胞CSCがある

1998 PNAS論文(8)はこれを主張したもので、共焦点顕微鏡による観察により、正常者の心筋でも14/100万の心筋細胞に分裂像がみられ、この数は重症心不全患者で10倍増する、とした。この論文が撤回されれば、ヒト成体心臓に常在CSCが存在する、という仮説の基盤が消滅する。

II. CSCは心筋梗塞で組織再生に関わる

AnversaらはPNAS報告結果をさらに展開し、2001のNEJM論文では、心筋梗塞後の梗塞周囲心筋で4%の細胞が細胞周期に入る、とした(9)。このままでこの現象を追認する実験文献はないようであり、この論文が撤回されれば心筋梗塞で生理的に有意味な規模で心筋再生がおこる、という仮説は維持しがたくなる。

III.(Anversaラボの)c-kit陽性細胞が真正のCSCである

正常心筋に存在し、心筋梗塞で再生分化が増幅されるCSCのマーカーがc-kitであるとした論文は、2004PNASに発表された(10)。ここでは、ヒト心臓由来c-kit陽性細胞が、基本的に自己再生能をもち心筋細胞に分化する幹細胞である、とする。ただし、この論文ではそれが「to a lesser extent」で平滑筋細胞・血管内皮細胞にも分化しうる、と留保を残していた。しかし引き続き2005にCirculation Researchに発表された論文では、心筋梗塞後に外因性のhigh-mobility group protein 1 (HMG-1) がc-kit陽性心臓細胞を心筋細胞に再生させる、と述べている(11)。

IV. CSCには心不全の組織再生治療効果がある

これらの基礎実験・観察に基づき、AnversaラボはLouisvilleグループとc-kit CSCを用いた第I相臨床試験SCIPIOを行い、その結果を2011 Lancetに発表した。 これは心筋梗塞患者へのCABGで採取した心房筋から生成したc-kit陽性CSCを患者に冠内注入したもので、16名の患者でLVEFが改善し、結果は「very encouraging」である、とした(12)。しかし、Lancetは2014にHarvard Medical SchoolのBrodnicki から、HMSとBWHがAnversaラボからの論文中データの懸念点を検証中であるとの知らせを受けた(但し、詳細は通知されていない) 、とした(13)。

2014にAnversaがBWHを去って以後、Anversa・Kajtsuraグループからの論文は一流誌には見られなくなる。

パラダイムの消滅

Anversaがパラダイムシフトを宣言した2011論文(6)は2018にCriculation Researchから、2012論文(7)はCirculationから撤去された(4)。従って、Anversaパラダイムは全体としては消滅したものとみなされる

パラダイムI・II

NEJM 2001論文(9)に関しては、2018に同誌がConcernsを公表し、著者・BWHとのコミュニケーションの後に撤回か否かを最終決定する、とした(14)。ヒト成体心臓に常在心筋幹細胞が存在するか、という問題に関しては、2017のEHJ レビューは「論争が何十年も続いている」としており、新しい方法論の導入なしには決着がつかない、という見通しをしめしている(15)。したがって、生理的平衡状態や心筋梗塞のような病理状態で心筋細胞がどの程度再生するか(Anversa説では「10倍」)は不明である。

パラダイムIII

AnversaCSCに関してはその発表とほぼ同時に、心筋のc-kit+ cellsは骨髄由来細胞であり、cardiac precursor cells(CPC)への転分化もなく梗塞心での心筋再生効果もない、という論文がNatureに発表された(16)。さらにこの点に関しては、Mount-Sinaiグループが2015に心臓内のresident c-kit+ cellsは心筋幹細胞ではなく内皮細胞であると、全く否定的な論文を発表しており(17)、引き続き2017にはイタリアグループが、c-kit陽性細胞中で心筋に分化しうる細胞は10%だけ、という論文を発表した(18)。Nature系誌に発表されたこれらの否定的結果は強力で、AnversaCSCが「真正な」常在心筋幹細胞だという見方はもはや成立しない

パラダイムIV

SCIPIOに関しては上述のようにBWHからLancetに調査中の通告があった。この論文は2018に撤回要求された31論文に含まれるとみられ、これが撤回されるとAmbersaラボのCSCは臨床試験に到達しなかったものとみなされることになる(19)。

Anversa(CSC)以後

使用細胞の転換:非Anversa 幹細胞

AnversaCSCの発表と臨床試験と前後して、Anversa CSCでない他種の組織幹細胞による心筋梗塞・心不全治療の試みが一斉に始まった

2004には自己骨髄間葉系幹細胞(BMSC)を急性心筋梗塞患者に冠内注入する試みが中国から報告された(20)。Anversaグループ2011のSCIPIO結果のLancet報告に続き、Cedars-Sinaiグループは2012JACCに新しい調整型Cardiosphere-Derived Cells(CDC)を報告し、パラクライン効果も心筋再生効果も他型の幹細胞より優れるとし(21)、同年にCADUCEUS 第I相試験の有望結果をLancetに報告した(22)。しかし、その後相報告は見られない。

同じ2012にはMiamiグループがBMSCの心筋内注入試験(POSEIDON)を行って「有望」としているが、これも後続は未だにみられない(23)。

2013にベルギーグループ(C-CURE)は新世代患者骨髄由来Cardiopoietic stem cell(CpSC)を使った第II相試験を行い、JACC EditorialはそこでのEF改善効果を’dramatic’とした(24)。引き続き2016にはベルギーグループは同じCpSCの虚血性心不全患者に対する効果を検証するRCT(CHART-1)を行い、結果をEHJに発表した(25)。これは対象患者484名で偽手術を対照とする本格的なものだったが、結果は無効であった。著者らは有効部分集団があるとしたが、2018末現在最終結論は不明である。

一方、2015にはBMSCを心臓に使った研究はすでに23RCTを数えており、Cochrane Reviewされるに到っている(26)。Cochraneの結論は、全体としてエビデンスレベルは中等度としつつ急性心筋梗塞に対する効果は明らかでなく、慢性心不全ではより有望とみられるがエビデンスレベルは低い、とした。同じ2015にStem Cell誌はMyocardial Injury Benefits of MSCsと題するReviewを掲載し、間葉系幹細胞は型に関わらず少なくとも冠血管内治療では無益とし、治療法を心筋内注入に制限することを主張した(27)。

最近では2018にCirculation Research誌はAre Post-STEMI Cell Therapy Clinical Trials Approaching Futility?と題する刺激的なEditorialを掲載し、組織幹細胞治療が一般にSTEMI後心不全患者の死亡およびMACEアウトカムに無効であり、またSTEMIへの組織幹細胞治療はもはや不毛にみえる(viability of stem cell therapy for STEMI will remain unlikely.)とするに至っている(28)。

Anversa事件を受けて実行が保留されたCONCERT-HFは、心不全に対するAnversaCSC(後にはc-kit+ cardiac progenitor cells :CPC)とBMSCの併用効果を検証するとする第II相RCTだったが、これがGOとなるかどうかは2018末現在不明である(29、30)。

治療目標の転換:組織再生効果からパラクライン効果へ

AnversaCSCやBMSCの初期臨床試験が劇的な効果を実現できないなかで、幹細胞治療の目標を、幹細胞による心筋組織の置換的再生から幹細胞が生成・放出する生理活性物質による既存心筋組織の賦活効果(「パラクライン効果」)に転換しようとする試みが始まった(31)。

その立場を明確に示すレビューを2008にDuke-イタリアグループが発表しており、そこでは幹細胞治療の主軸が(常在幹細胞からの心筋再生誘導をふくむ)パラクライン効果であるとし、stem cell–derived factor-1 (SDF-1)をはじめとして40種を超えるサイトカインや成長因子が具体的候補として挙げられた(32)。

Anversaグループもパラクライン現象には肯定的で、2011にはmiRが幹細胞の分化誘導効果をもつ、という論文“Human Cardiac Stem Cell Differentiation Is Regulated by a Mircrine Mechanism”を発表したが、これは2018に取り下げられている(4)。

2011にはCedars-Sinai Heart Institute グループがCardiosphere-Derived Cells(CDC)を特にパラクライン効果が高い細胞として同定した(33)。2014に同グループは、CDCが実験的MI後におそらくはパラクライン効果を介してcardioblastの再生刺激する、とした(34)。

このような転換は心不全治療に限らずMSCの治療応用研究の全般に起こったもので、イタリアグループは2016のReviewで、有力なパラクライン因子の同定が次のMSCベース治療一般の課題であるとした(35)。しかしこの線に沿っての研究の進展は遅く、2017・2018にいたっても、前臨床レベルでは新規因子の報告が続いているものの(36)、臨床的に有意義・有効とみられる因子は未だ同定されておらず、We clearly need new therapeutic modalities that are effective and yet simple enough to be practical, and the field is looking into the therapeutic potential of stem-progenitor cells, cardiac and vascular, that are enabled by bioactive factors and functionalized biomaterials.といった一般論(37)や、心臓由来細胞治療はバーション2に入る、といった宣言・主張にとどまっている(38)。また、有力なパラクライン因子が特定・精製された場合、細胞治療が必要かどうかは分からない。

使用細胞と治療目標の転換:多能性幹細胞を心臓移植する

Anversaパラダイムの消退にとって代わるように、2014ごろからESCやiPSCから生成した心筋シート(パッチ)の移植によって不全心の収縮能を回復させようとする試みが現れてきた。これは、使用細胞という点でも(成体組織幹細胞・前駆細胞から多能性幹細胞由来心筋細胞へ)治療目標という点でも(組織再生から細胞移植へ)Anversaパラダイムを離脱している。

hESC由来心筋細胞(hESC-CM)移植の試みは2014までに動物レベル実験で一応の成功に到達し、Natureが採り上げた(39、40)、これに続き、2015にはiPSC-CMのサル移植実験の成功が日本からNature報告された(41)。さらに日本からは、ブタレベルでのiPSC心筋シート移植実験が2017に報告された(42)。

2018には、この方向での最初の第I相臨床試験結果がフランスグループからJACCに報告された(43)。これはAhESCを重度虚血性左心室機能不全患者に対して使用する第I相試験で、CABGと同時に臨床グレードの心血管前駆細胞(CVPGC)を生成するhESCパッチを貼付する治療の安全性を評価した。6名の患者(LVEF中央値26%)に対する追跡期間中央値18ヶ月結果では、CVPGC生成率中央値は97.5%で、2名の死亡が報告されている。腫瘍・不整脈は発生しなかったが、3名が免疫反応を呈したという。全患者で症状改善がみられ、パッチ貼付部の収縮運動が増加したとされるが、同一の方略で第II・III相RCTに進むかどうかは明らかでない。同じ2018に阪大グループはiPSC心筋シートを用いた第I相臨床試験の開始を発表した(44)。同グループの一連の開発戦略はReviewの形で提示されており、iPSC由来心筋細胞のシート移植が、より広汎なカージオロジーにおけるiPSC利用の一部であることが主張されている(45)。

なお、2018末には細胞をポリマーマイクロニードルチャネルにより心筋内深く送達する、という新しい送達方法が提案されており、心臓への細胞移植は基本的方法論でも未だ検討の余地を多く残している(46)。

ESCやiPSC由来の心筋細胞の心臓移植は、その先にはゲノム編集の導入も考えうる重要な方向だが、重症心不全患者治療への細胞移植療法が正当化されるためには、死亡・MACEへの効果を示すことが必要であり、2020以前に臨床化されることはないものとみられる。

References