脳外科医はそんなに賢いのか?BMJクリスマス・スペシャル2021:脳外科医148人と宇宙工学者600人との比較・国際研究

公開日:

2021年12月29日  

"It's not rocket science" and "It's not brain surgery"-"It's a walk in the park": prospective comparative study

Author:

Usher I  et al.

Affiliation:

Department of Neurosurgery, National Hospital for Neurology and Neurosurgery, London, UK

⇒ PubMedで読む[PMID:34903556]

ジャーナル名:BMJ.
発行年月:2021 Dec
巻数:375
開始ページ:e067883

【背景】

英語圏には,物事の実行や理解が見た目ほどは難しくないことを表現するのに「脳外科手術じゃないんだから」と「ロケット科学じゃないんだから」という2つの慣用句がある.この言葉は脳外科医と宇宙工学者が極めて博識でかつ知的にチャレンジングな職業であるという「常識」を背景にしている.
では本当に彼らは格別な認知能を有しているのか,そうであればどちらの能力が高いのか.本稿はロンドン大学などのチームによる国際前向き研究である.英国,欧州,北米などの脳外科医148人と宇宙工学者600人を対象にオンラインで認知能力テスト(GBIT)を行い,データ欠落のない脳外科医72人と宇宙工学者329人を解析対象とした.

【結論】

記憶,空間課題解決,意味課題解決,心的操作と注意力,課題解決速度,記憶想起速度の6ドメインからなるタスクを与えた.
2つの専門家集団間での比較で有意差があったのは,脳外科医群で意味課題解決のスコアがより高いこと,宇宙工学者群で心的操作と注意力のスコアがより高いことであった.他の4ドメインでは両群間で差はなかった.
2つの専門家集団と英国一般人口(約1.8万人)との比較で差があったのは,脳外科医で課題解決速度が早いことと記憶想起速度が遅いことのみであった.
すなわち,物事の解決を急ぐ必要がない時に「脳外科手術じゃないんだから!」という表現は許されそうだが,他の状況では2つの慣用句は的外れである.

【評価】

BMJはインパクトファクター40点(2020~2021年)を誇るトップ・メディカル・ジャーナルで,この論文はクリスマス・ホリデー恒例のスペシャル・イシューである.とはいえ,高い研究規範と厳密な研究手法の下で実際に行われ,ピアレビュー・プロセスを経てアクセプトされた質の高いリサーチである.
最近のBMJクリスマス・ホリデー・イシューには,2011年の「死神の歩く速さはどれくらいか?(高齢者の歩く早さと死亡率は逆相関する)」,2015年の「血も凍るような恐怖で血は固まるのか?(ホラー映画を見た後に凝固第VIII因子が増加する)」,2020年の「誕生日の外科医は危険か?(外科医の誕生日に手術を受けた患者の死亡率は,誕生日以外の手術より1.3%増加する)」などがある.いずれも一般の人々の医学への関心を引き起こす興味深いトピックであり,その結果と解釈は専門家以外にもインパクトを与えるものである.そうした意味では,BMJクリスマス・ホリデー・イシューはノーベル賞に対するイグノーベル賞に近い存在かも知れない.
物事を実施するのが容易であるということを表す “A walk in the park” あるいは “A piece of cake” と同義で用いられる慣用句として, “It's not brain surgery” 「脳外科手術じゃないんだから」と “It's not rocket science” 「ロケット科学じゃないんだから」という2つがあり,時にこれら2つの慣用句がワンセットで使用される.本研究は,この慣用句の根拠はあるのか,すなわち脳外科医あるいは宇宙工学者が特殊に高い知的能力を有しているという「常識あるいは信心」に根拠があるのかを検討したものである.また,脳外科医とロケット科学者のどちらが知的であるのかという議論に応えるものでもある.
その結果,脳外科医は,宇宙工学者に比較して意味課題解決のスコアは高かったが,心的操作と注意力のスコアは低かった.一方,脳外科医は,英国の一般人口に比較して,課題解決速度は早かったが,記憶想起速度は遅かった.
コメディードラマの中以外(文献1)では宇宙工学者と脳外科医が同席することは普通にはあり得ないので,脳外科医と宇宙工学者の認知能が違うことの社会的な意義は乏しい.しかし,少なくとも本研究で明らかになった一般人口との差,すなわち脳外科医は課題解決速度が早いことと記憶想起速度が遅いことについては,何らかの社会的意義がありそうである.
そもそも一般人口とのこの差の理由は何か? 脳外科医になった者が生まれ持った資質/弱点なのか,それ故に脳外科医を選んだのか,あるいは脳外科という職業を通じて獲得されたものかは不明である.課題解決速度は脳外科医としての多忙な日常の中で鍛えられた可能性を考慮したいが,研究で用いられたタスクはトレーニング効果をあまり反映しないそうで,著者らはむしろ課題解決速度の早い医学生が脳外科の早いペースの職業環境そのものに引きつけられて脳外科医になった可能性があるという.では脳外科医で記憶想起速度が遅かったのは何故か.脳外科の日常は複数の言葉や数桁の数字を記銘/想起するというタスクとは縁遠いものなのかも知れない.最近なかなか薬の名前が出てこないのは認知症状じゃなく脳外科医の職業病なのねと勝手に安心出来る."
いずれにしても,脳外科医や宇宙工学者の認知能力は一般人口と大差はないし,劣っているものもあるということで,困難なことを達成する高い知的能力を有する専門家として脳外科医や宇宙工学者を挙げるのは不適切であり,他の専門家集団にとってかわるか,見た目ほどは難しくないことを表すフレーズとしては,より単純な “It's a walk in the park” の方が適切だと言う.
慣用句としての “It's not rocket science” の起源は1945年以降にドイツから多くの軍事ロケット工学者が米国に招かれてから,人々が知的にチャレンジングな領域と考えていた軍事ロケット技術と宇宙工学が急速に発展したことを背景にしているらしい.また,やはり米国移住ドイツ人(ユダヤ人)で現代物理学の巨人アインシュタインに対する敬意も重なっていたのかも知れない.1970年代にはこのフレーズが新聞にも掲載されている(文献2).“It's not brain surgery” の起源はより曖昧であるが,やはり1970年代には使用されているという(文献3).このころから始まった顕微鏡下手術の普及を背景としているのであろうか.
ちなみに第41代米国大統領のジョージ・W・ブッシュ氏は言い間違い(無意識あるいは意図的)を連発したことで有名で,ブッシュイズムとも称され,彼の言い間違い集は世界的ベストセラーにもなった.彼は上記の2つのフレーズを縮めて “it's not rocket surgery” と発言したことでも有名である.

<コメント>
GBITはイギリスBBCのウェブサイトからアクセスできるonlineの認知テストである(文献4).課題遂行後は被験者自身が短期記憶や注意力,空間認知能力などの結果をレーダーチャートで見ることができるので,この話題に興味がある読者には是非とも一度挑戦していただきたい.ただし,GBITは英語圏の被験者を想定したもので,私も実際に行ってみたものの,英単語を多用した記憶課題には苦しめられた.論文中に記載されているように,ヨーロッパ(国名は明確にされていない)の英語圏以外の国からも被験者を集めていることは,課題の説明理解や難しい単語の意味を答える課題の結果に影響を与えている可能性がある.
本論文中のDiscussionでは,課題遂行能力にどの程度トレーニングが影響するかが明記されていないが,BBCでGBITを解説するホームページでは加齢によって問題解決能力が低下し,コンピューターゲームを日常的に行う集団ではワーキングメモリーが良いことなどが解説されている.そういった被験者の背景が本テストに影響を与えことを考慮した場合,脳神経外科医としてのトレーニングが意味課題解決スコア高値という結果をもたらした可能性は否定できないだろう.また,“It's not a brain surgery.” という慣用句を否定する上で,一般対照群が比較的インテリジェンスの高い集団を選んだことは必ずしも適切とは言えないと考えられる.
古典的な脳神経外科医と言えば多忙さ故に短気で,「師弟関係は絶対」の教義を重んじる人種という偏見がある(文献5).しかし,時代の流れとともに古典的な脳神経外科医のイメージは徐々に消え去りつつある.多様性と協調を重んじる世界の中で,脳神経外科医という一つの職種をひとまとめにして理解しようとすることは矛盾しているように思われる.とは言え,本論文は脳外科医達にとっては自らを顧みる良い材料となり,一般的にも大変興味をそそるものであることは間違いないだろう.(福岡大学脳神経外科 森下登史)

執筆者: 

有田和徳