前方経錐体法(ATPA)による錐体斜台部腫瘍の摘出:慶應義塾大学の33年間274例の経験から何を学ぶか

公開日:

2024年2月26日  

最終更新日:

2024年3月11日

Anterior transpetrosal approach and the tumor removal rate, postoperative neurological changes, and complications: experience in 274 cases over 33 years

Author:

Tomio R  et al.

Affiliation:

Department of Neurosurgery, School of Medicine, Keio University, Tokyo, Japan

⇒ PubMedで読む[PMID:38277661]

ジャーナル名:J Neurosurg.
発行年月:2024 Jan
巻数:Online ahead of print.
開始ページ:

【背景】

錐体斜台部や小脳橋角部腫瘍に対する前方経錐体法手術(ATPA)は1980年台に慶応義塾大学の河瀬らによって開発され(文献1,2,3),腫瘍,脳幹,脳神経,主要血管を直視しながら手術が出来るため,広く普及した.本稿は,慶応義塾大学で1984年以降の33年間にATPAによる摘出術が行われた錐体斜台部腫瘍274例の後方視的解析である.
腫瘍の肉眼的全摘出率は,全体では53.5%,髄膜腫148例で54.1%,三叉神経鞘腫31例で87.1%,脊索腫21例で14.3%であった.ATPAによる手術の直後では,片側不全麻痺の45.0%,小脳症状の39.3%,三叉神経症状の19.1%で改善が得られた.

【結論】

ATPAによる手術直後の神経症状出現/悪化は意識障害1.9%,片側不全麻痺の悪化8.1%,複視の悪化49.4%,三叉神経症状の悪化27.4%,顔面神経麻痺の悪化13.1%,聴力の低下3.9%,小脳症状の悪化1.9%などであった.
手術後6ヵ月目の段階で,183例の神経学的評価が可能であった.術後6ヵ月目での神経症状の頻度は,意識障害1.5%,片側不全麻痺3.0%,顔面神経麻痺4.9%,聴力低下3.9%,複視36.4%,顔面の知覚障害24.0%であった.小脳症状の残存は0%であった.
なお,初回手術での死亡例は無く,再発腫瘍に対する手術後の死亡が1例(0.4%)であった(著者ら既報,文献3).

【評価】

本稿は,河瀬の三角(Kawase's triangle)として名高い前方経錐体アプローチ(anterior transpetrosal approach:ATPA)を開発普及させてきた慶應義塾大学脳外科一門の手による,ATPAで手術した274例という多数例の詳細な解析である.その結果,腫瘍全摘出率は54.1%と,深部で重要構造に囲まれた腫瘍であることを考慮すれば良好な摘出率であった.一方,手術後6ヵ月時点で残存した神経症状は,意識障害1.5%,片側不全麻痺の悪化3.0%,顔面神経麻痺4.9%,聴力低下3.9%とその頻度はかなり低いが,複視は36.4%,顔面の知覚障害は24.0%と比較的高率であった.特に,手術後約半数の症例で新たに出現し,約1/3の症例で恒久化した複視は患者の容貌を含めたQOLを大きく損なうのは言を俟たない.もしかすると軽度の片側不全麻痺よりも患者にとってのネガティブ・インパクトは大きいのかも知れない.
この結果を受けて著者らは,ATPAはメッケル腔や中頭蓋窩に進展する錐体斜台部の神経鞘腫や髄膜腫の全摘出を可能にするアプローチ方法であるが,第IV–VI脳神経の回復を損なうリスクがあるとまとめている.そして,良性の経過をたどる髄膜腫に対しては定期的な経過観察が推奨され,ATPAを用いた摘出手術は早い成長を示す腫瘍に対して,十分なリスクの説明の上で実施されるべきである.もしそのリスクが受け入れられない場合は,亜全摘手術と残存腫瘍に対するガンマナイフなどの定位手術的照射も考慮されるべきであると結論している.
かつては,錐体斜台部の良性腫瘍に対する唯一の治療戦略は手術による全摘出であった.実際,1994年に発表された著者らの初期の錐体斜台部腫瘍42例では,ATPAによる肉眼的全摘出率は76%(文献2)と,本稿のシリーズ(1994-2017年)の274例における53.5%よりもかなり高い.また,髄膜腫148例に限って見ても,肉眼的全摘出率は2000年以前の60.7%に比して,2010年以降は42.3%と低下している.この変化をもたらしたのは,2000年以降のガンマナイフなどの定位手術的照射の登場(文献4,5)と,摘出率よりも患者のQOLを重視しようという考え方の普及であったと思われる.
一見すると,著者らの結論は,新しい補助療法の登場とQOLという概念の普及を受けた,当然の治療戦略の修正と思われる.しかしこの修正は,錐体斜台部腫瘍という最もチャレンジングな腫瘍と長い間格闘してきた著者らが,自らの成績を真摯に解析し,熟考して下された判断に基づいていると思われる.重く受け止めたい.
とはいえ,錐体斜台部髄膜腫に比較すれば,海綿静脈洞に進入したダンベル型の三叉神経鞘腫の場合,ATPAによる肉眼的全摘出率は高く(87.1 vs 54.1%),三叉神経症状を除けば,手術後の脳神経症状は一過性が多いという.このような三叉神経鞘腫では,現在でもATPAの優位性は揺るがないのかも知れない.

<著者コメント>
経錐体法は,脳神経外科手術手技の中でも難易度が高いとされている.中でも前方経錐体法は,到達経路,到達部位の解剖学的複雑性があり,安全に行うためには,手術手技の習得に加えて,解剖学的理解が欠かせない.様々なvariationがある個人個人の解剖学的特徴,病変の十分な理解により,安全な手術が行える.脳の静脈は弁がなく,側副路が発達しているが,腫瘍により静脈閉塞などが起こり,通常と異なる還流パターンとなっていることもある.病変によっては,ある程度正常構造を犠牲にしなければならない場合もある.前方経錐体法は,やさしい術式ではないが,手術手技を習得するとともに,適応となる病変の見極め,一人一人で異なる解剖学的特徴を理解し,正常構造物をどの程度まで犠牲にしてもやむを得ないかの正確な判断が最重要である.本論文では,我々が経験した前方経錐体法の合併症の解析を行った.適応疾患の特性もあるが,決して合併症は少なくはなく,中には許容範囲を超えるものもある.避けるべき合併症を防ぎ,治療の目的を達成するためには,手術手技の修練とともに,患者個個人の病態生理の理解を正確に行い,合併症対策を行うことにより,前方経錐体法の脳神経外科における意義が確立していくものと思われる.(慶應義塾大学名誉教授 𠮷田一成)

執筆者: 

有田和徳