経蝶形骨洞手術における予防的ステロイド剤投与の実態(2010~2016年):日本におけるDPCの解析から

公開日:

2021年7月31日  

Prophylactic steroid administration and complications after transsphenoidal pituitary surgery: a nationwide inpatient database study in Japan

Author:

Hattori Y  et al.

Affiliation:

Department of Neurological Surgery, Graduate School of Medicine, Nippon Medical School, Tokyo, Japan

⇒ PubMedで読む[PMID:33992400]

ジャーナル名:Br J Anaesth.
発行年月:2021 Aug
巻数:127(2)
開始ページ:e41

【背景】

経蝶形骨洞手術前に予防的ステロイド投与が行われることが多いが,その要否は議論の的である(文献1,2,3).日本医科大学のHattoriらは2010年から2016年のDPCデータベースからクッシング病を除く下垂体疾患で経蝶形骨洞手術を受けた1,813例(頭蓋咽頭腫15例を含む)を対象に我が国における臨床現場での実践をまとめた.45%が内視鏡下手術.949例(52%)が予防的にステロイド剤の術前経静脈的投与を受け,864例は受けなかった.投与されたステロイド製剤はヒドロコルチゾン743例,デキサメタゾン151例,メチルプレドニゾロン76例,ベタメタゾン40例,プレドニゾロン4例であった.

【結論】

調整前の比較では続発性副腎不全,下垂体機能不全,低Na血症,尿崩症,髄膜炎の発生頻度に二群(予防的ステロイド投与群 vs. 非投与群)間で差はなく,在院日数は予防的投与群で有意に短かった(16.5 vs. 15.3日,p=.001).
傾向スコア法による安定化逆確率重み付け(IPTW)後の比較では在院日数も含めた上記評価項目に二群間で差はなかった.頭蓋咽頭腫15症例を除外してもやはり差はなかった.

【評価】

本論文は副腎皮質不全を伴わない患者に対する経蝶形骨洞手術前の予防的ステロイド投与が,日本において約半数の患者で行われていることをDPCデータを基に明らかにしている.一方,投与群と非投与群間では続発性副腎不全,下垂体機能不全,低Na血症,尿崩症,髄膜炎の発生頻度,在院日数に差が無いことを明らかにした.この結果を受けて,著者らは経蝶形骨洞手術を受ける患者で術前の副腎皮質機能が正常であれば,予防的な経静脈的ステロイド剤の投与は必要ないものと思われると結論している.
慣習的に行われている経蝶形骨洞手術前の予防的ステロイド投与について,それが本当に必要なのか議論は続いている.このテーマでこれまでに2つのRCTが報告されている(文献2,3).これらによれば非投与群でも術中循環動態は安定しており,手術後早期の副腎皮質機能不全や慢性期下垂体ホルモン障害率に差はない.ワシントン大学からは,退院時にステロイド投与がされている患者の割合は,術前ステロイド投与群が多かったという報告がされている.いずれの報告でも副腎皮質機能不全がない下垂体腺腫患者の経蝶形骨洞手術では術前ステロイド投与は必要ないのではないかという結論である.しかし,この2報告とも症例数は40例前後と限られており,今後,この長年続いてきた予防的ステロイド投与という風習を変えるためには多施設での大規模なRCTが必要である.
本論文の著者らのスゴいところは,この論文を脳外科の雑誌ではなく麻酔学の一流誌に投稿したところである.実際,ステロイド剤の術前投与が麻酔側の判断によるところが大きいことを考えれば,このことのインパクトは大きい.
この論文については,オランダGroningen大学麻酔学のVenema AMがエディトリアルを翌月号に掲載している(文献4).そのタイトルは『経蝶形骨洞手術周術期の予防的ステロイド剤投与は大槌で木の実を割るに等しいか(sledgehammer to crack a nut)?』である.
名言である.小さな木の実を割るのに大槌は有効かも知れないが,同時に木の実を載せた土台までもたたき割ってしまうのではまずい.確かに短期間ステロイド投与であっても高血糖,高ナトリウム血症,血圧上昇などの有害事象は起こる可能性はあるし,手術直後の副腎皮質抑制につながる可能性はある.一方で,経蝶形骨洞手術による新たな下垂体前葉機能障害は約5%で発生すると報告されている(文献5).稀ではあるが手術によって発生するであろう下垂体-副腎皮質系の障害を予測し適切に対処できれば,むやみに大槌をふるう必要はないことになる.このためには,手術前に下垂体-副腎皮質系が正常であった患者で,経蝶形骨洞手術中・術後に急性副腎皮質不全に陥るのはどのような条件なのか明らかにすることが重要である.おそらく,小型腺腫で,選択的な腺腫摘出が行われる場合は,下垂体-副腎皮質系の障害は起こらないであろう.術者の経験値に左右されるところも大きいかも知れない.
さらに,手術中に下垂体に強い障害が起こったときに,どのくらいの潜時で血中コルチゾルが危険域まで下がってしまうのかというデータも必要である.
このことを視野に入れ,ステロイド非投与症例における周術期血中コルチゾル値の連続的変化を求める必要性もある.これを通して,どのような症例に対するどのような手術であれば,ステロイド術前投与あるいは術中投与を行った方が良いという指針が得られるものと考えられる.

<コメント>
ACTH産生下垂体腺腫や,術前からステロイド補充を行っている患者に対する周術期ステロイドは必須であるが,術前に下垂体機能が正常であった患者に対する周術期のステロイド投与については各施設の方針によって異なっている.当施設では手術当日,ヒドロコルチゾン50 mgを8時間毎,翌日から2日間,12時間毎に投与している.これまでステロイド投与による重篤な副作用の経験はないが,高血糖や高ナトリウム血症はしばしば生じている.
実際,下垂体手術による医原性の下垂体機能低下症は稀であり,頭蓋咽頭腫で下垂体茎を切断したような症例を除き,ルーチンのステロイド投与は不要かもしれない.日本の下垂体手術後の入院期間は約2週間で,その長さは世界的には稀である.今後,様々なエビデンスを基に下垂体腺腫に関してもさらなる周術期ケアの適切化,国際的標準化が必要になるであろう.
(鹿児島大学下垂体疾患センター 藤尾信吾)

執筆者: 

有田和徳   

監修者: 

藤尾信吾